長嶺大使インタビュー・講演

【講演(グローバルビジネスフォーラム)】「最近の日本経済と日韓協力」

1.はじめに

本日は,韓国を代表する経営学者の皆様及びサムスングループ幹部の皆様の前でお話をさせていただく機会を頂戴し,光栄に存じます。また,このような素晴らしい場をご用意いただいたシン・ゴンチョル慶煕(キョンヒ)大学教授に感謝申し上げます。

本日は,まず始めに経済の話をしたいと思います。もとより私は外交官であってエコノミストではありません。しかし,たまたま昨年8月にソウルに大使として赴任する前に3年間,経済担当の外務審議官を務めました。この間,安倍総理の個人代表(シェルパ)として,G7やG20,APECで総理を補佐いたしました。また,経済交渉では,日EU・EPA,日豪EPA,日韓中FTAの首席交渉官を務めました。これらの経験も踏まえながら,お話をしてみたいと思います。その後,日韓関係について私が考えていることをお話しさせていただきます。

2.日本経済の現状

(1)アベノミクスの背景

最近,韓国で,韓国が日本の「失われた20年」と同じ状況に陥る可能性があるという論調をよく見かけます。これは,韓国の少子高齢化や低成長といった状況が1990年代の日本経済と似ているためだと思われます。

ただ,ここでは,韓国が日本のように「失われた20年」に陥るのかという点については論じません。むしろ,韓国経済が御専門の皆様に,後ほど御見解をお聞きしたいと思います。ここで私が申し上げたいことは,この「失われた20年」の苦境を打破しようという試みこそがまさにアベノミクスである,ということです。

皆様も御承知のとおり,「失われた20年」とは1990年代初頭から約20年間続く日本の景気低迷を指します。そして,この景気低迷の核心がデフレであります。日本では,1990年代初頭に資産バブルが崩壊し,株価は1989年末の39000円から7000円まで下落しました。主要都市の地価は,1991年のピークから87%も下がりました。結果として,多くの銀行や企業の資本が毀損し,銀行は不良債権の圧縮に,企業は負債の返済に集中するようになりました。このため,日本企業は,将来の成長につながる投資よりも,賃金カットによるコスト削減を優先し,労働者側も雇用を守るため賃金カットを受け入れました。お金の価値はモノに対して相対的に徐々に上がり,成長は減速していきました。こうして,日本経済は根深い悪循環に陥り,デフレから抜け出せなくなっていったのです。

(2)アベノミクス「三本の矢」

この根深いデフレを克服し,経済再生を成し遂げるため,2012年12月末に2度目の総理に就任した安倍総理は,就任直後,大胆な政策パッケージを発表しました。それが,アベノミクスの「三本の矢」と呼ばれるものです。「三本の矢」については御承知の方も多いと思いますので,簡単に触れるにとどめますが,大まかに言うと,次のような政策です。

一つ目の矢は,「大胆な金融政策」です。企業や家計に定着したデフレマインドを払拭するため,2013年1月,日本銀行は2%のインフレターゲットを導入し,これを実現するために大幅な金融緩和を実施しました。

二つ目の矢は,「機動的な財政政策」です。デフレ脱却をよりスムーズに実現するため,有効需要を創出する目的で,2013年に約10兆円規模の緊急経済対策を実施しました。

三つ目の矢は,「民間投資を喚起する成長戦略」です。財政出動をいつまでも続けるわけにはいきません。民間需要を持続的に生み出し,経済を力強い成長軌道に乗せるため,法人税実効税率の引下げ,電力・農業・医療等の分野における規制緩和,TPP署名等,民間投資を喚起する戦略を次々に実施に移しました。

こうした政策の結果,安倍総理が就任した2012年12月末からの約2年半強の間に,名目GDPは28兆円(6%)増加し,企業の経常利益も過去最高水準を記録するなど,明確な成果が現れました。一方で,企業収益の上昇が設備投資や賃金上昇に十分につながらず,アベノミクスが目指した成長の好循環に突入したとまでは言えない状況でした。その背景には,少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少という構造的な課題があると考えられました。

(3)アベノミクス「新・三本の矢」

こうした状況を踏まえ,2015年9月,安倍総理は従来の「三本の矢」を強化した「新・三本の矢」により,「一億総活躍社会」を目指すとの構想を打ち出しました。「一億総活躍社会」とは,日本の構造的な課題である少子高齢化に歯止めをかけ,50年後も人口1億人を維持するとともに,日本人誰もが,家庭で,職場で,地域で,生きがいを持って,充実した生活を送ることができる社会という意味です。従来の「三本の矢」は政策手段を指すものでしたが,「新・三本の矢」は政策目標であると理解していただければ分かりやすいかと思います。簡潔に申し上げると,次のような政策になります。

第一の矢は,「希望を生み出す強い経済」,すなわち,2020年頃までに名目GDP600兆円達成を目指すというものです。そのために,成長戦略を含む従来の「三本の矢」を一層強化し,第四次産業革命実現に向けた施策の加速化,生産性を上昇させるための各種規制緩和等を実施します。政策の内容は非常に多岐にわたっていますが,これらは「日本再興戦略」としてまとめられ,実行に移されつつあります。

第二の矢は,「夢をつむぐ子育て支援」,すなわち,希望出生率1.8の実現を目指すというものです。希望出生率とは,結婚をして子供を産みたいという人の希望が叶えられた場合の出生率のことです。日本の出生率は現在(2015年)1.45ですが,このままの状況が続けば,人口が1億2千万人から2060年には8700万人まで減少すると言われています。出生率が1.8程度まで上昇すれば,2060年に人口1億人を維持できます。これを実現するため,現在,待機児童解消,幼児教育の無償化拡大,働き方の改革といった施策を講じています。

「第三の矢」は「安心につながる社会保障」,すなわち,介護離職ゼロの実現を目指すというものです。現在日本は,団塊世代が介護が必要な年齢に近づきつつあります。その子供達の世代が両親の介護のために離職する事態になれば,経済に大きなダメージとなるため,これを防がなければなりません。このために,介護施設等の拡大,介護休業を取得しやすい職場環境の整備,高齢者のための多様な就労機会の確保等の施策が実行に移されつつあります。

(4)アベノミクスの成果と課題

アベノミクスにより,日本経済が回復しつつあることは明らかです。例えば,①名目GDPは,先ほど,安倍総理就任からの2年半強で28兆円増加したと申し上げましたが,その後の取組もあり,現在までに約47兆円(9.5%)が増加し,過去最高の水準となりました。②雇用は大きく改善しており,失業率は4.2%から2.8%に,若者の失業率も8%台から5%台に低下しました。③企業収益は過去最高水準を記録し,④中小企業の倒産は三割減少しました。このように,具体的な効果がしっかりと数字で表れてきています。

中でも雇用状況の改善は顕著です。例えば,本年3月の有効求人倍率は1.45倍でした。これはバブル期である1990年11月以来,26年4か月ぶりの高水準です。青年雇用も好調で,学生優位の「売り手市場」になっています。就職を希望する人のうち,どれくらいが企業などから採用の約束を取り付けたかという「就職内定率」は,この春卒業した大学生で90.6%(本年2月1日時点)と,比較できる限りにおいて,過去最高の数字となりました。

一方,こうした状況は,生産年齢人口の減少に伴う人手不足が始まっていることも示しています。アベノミクスにより雇用環境が改善したことは確かですが,一方で,少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少というアベノミクスが克服しようとしている構造的な問題が雇用環境に影響を及ぼしている面もあるのです。ただ,言うまでもなく,生産年齢人口の減少は,中・長期的に経済成長を阻害する要因であり,これを克服する努力が引き続き必要です。

アベノミクスについては,①消費者物価が前年比でプラスに転じたものの,日銀が設定した前年比2%のプラスには到達しておらず,デフレを完全に脱却したとは言えない,②個人消費や設備投資といった民需の持ち直しが足踏み状態である,といった課題が指摘されています。その意味で,アベノミクスはまだ道半ばです。より安定的な好循環が実現するよう,先に挙げた各種施策を確実に進めていく必要があると考えています。

3.日韓関係総論

さて,ここからは,日韓関係についてお話ししたいと思います。

私が昨年8月に着任した際,次のようなメッセージを発信いたしました。①一つは,韓国は日本にとって長い交流の歴史を有し,かつ,戦略的利益を共有する最も重要な隣国であり,両国の間には色々な課題もあるが,双方が相互理解を深め,課題を克服し,幅広く協力することこそが相互にとり大局的な利益であるということ,②もう一つは,そうした両国関係を更に一歩でも二歩でも進めるために全力を尽くしたいということです。

残念ながら,昨年末に釜山の日本総領事館前に慰安婦の像が立てられてしまい,これにより私も一時帰国となり,これが80日を超える事態となりました。4月の初めに帰任しましたが,まず慰安婦合意は誠実に履行しなくてはならず,公館の前の静ひつは確保されなくてはならないという問題はあります。

他方,この問題をめぐり,日韓関係が厳しい状況にありますが,先程申し上げた着任当時の私の考えは変えるつもりはありません。それは,日韓間には,協力を行うべき,そして,これから申し上げるとおり,今後一層協力を強化していかなければならない分野が極めて多いことも自明だからです。

一つ目は,安全保障分野です。北朝鮮は昨年1月以降,わずか1年余りの間に,2回の核実験及び約30発の弾道ミサイル発射を実施しました。国際社会に対する正面からの挑戦です。日韓両国は,米国も含めて緊密に連携しつつ,北朝鮮の核・ミサイル計画の廃棄に向け,協力していきます。また,中国との関係においても,日韓は共通の利益を有しています。北朝鮮問題への対処に当たっては中国の役割が極めて重要です。中国に働きかけを行っていくとの観点からも,日韓,日米韓の連携が重要です。

二つ目は,文化交流や人的交流の分野です。緊密な両国関係を構築するためには,両国国民間の相互理解が不可欠であり,そのためにも,国民同士の対話や交流を活発化させることが必要です。日韓間ではすでに大規模かつ重層的な人的交流が行われており,昨年は700万人を超える人々が日韓を往来しました。毎年,ソウルと東京では,「日韓交流おまつり」という日韓最大規模の文化交流行事も行われています。

昨年12月には両国間で,交流人口1000万人という目標が設定されました。平昌と東京とでリレー開催となるオリンピック・パラリンピックといった大規模イベントを機に,両国の交流がさらに拡大することを期待したいと思います。なお,先ほど,700万人を超える人的交流があったと申し上げましたが,このうち500万人は韓国から日本への訪問であり,日本から韓国への訪問は200万人に過ぎません。多くの韓国の方々が日本を訪問していることは嬉しいことではありますが,両国民の相互理解を深めるという観点からは,より多くの日本人が韓国を訪れるようになることを願っています。

三つ目は,経済分野です。日韓は互いに第三位の貿易相手国であり,双方にとって極めて重要な経済的パートナーです。韓国向け直接投資は今までの合計で日本が1位です。日韓経済関係が強化されることは,両国企業を両国の直接的な利益をもたらすことは言うまでもなく,地域や国際社会への貢献という意味からも極めて重要です。

4.日韓経済協力

次に,経済分野における日韓協力の現状と可能性について,更に掘り下げて申し上げたいと思います。私は特に,以下の3つの分野での協力の可能性に期待しています。

一つ目は,通商分野における協力です。世界的に保護主義に対する懸念が強まっている中で,日本は,自由貿易こそが世界経済の成長の源泉と考えています。輸出依存度が高い韓国としても,同様の認識であると思います。日韓が声を一つにして,自由貿易の重要性を世界に訴えていくことが重要です。

TPPは,米国の離脱により発効の道筋が立っていませんが,今後の世界の貿易・投資ルールの新たなスタンダードを提供するものであり,日本政府として引き続き重視しています。あらゆる選択肢を排除せず,TPPで合意したハイスタンダードなルールを実現するためにどのようなことができるかを各国と議論していく考えです。

韓国との関係では,日韓の民間部門の方々から,日韓FTAを締結すべきとの声をいただいていることは事実です。一方,両国を支えるサプライ・チェーンは,従来の日韓二国間の枠組みを越え,日中韓やASEANを含む東アジア全体に広がりつつあります。このような現状を踏まえ,我が国はRCEP及び日中韓FTAに取り組んできており,まずはこれらの交渉の早期妥結に向けて努力する考えです。

二つ目は,第三国における日韓企業の協力です。両国のビジネス界の間で進められている資源開発・インフラ整備に関する協力事業は,世界五大陸全てで次々と展開しており,2007年以降だけでも少なくとも80件以上が実施されています。第三国への共同進出等を通じ協力することは,関係企業のみならず,世界経済の持続的成長への貢献という観点からも重要です。

三つ目は,日韓両国が抱える共通課題に対する対応です。先に御説明したとおり,日本は,少子高齢化や第四次産業革命への対応等が喫緊の課題となっています。これらは,韓国でも同様の課題です。両国の経済団体も,これら分野で協力する重要性について認識を共にしており,今後,両国ビジネス界を中心に協力が進められていくことを期待しています。

この関連で最近,韓国の若者の日本での就労増加が話題になっています。こうした動きが進むことは,両国民の相互理解が深まる一助になるものです。私も常日頃から韓国の若者の能力の高さは実感しており,韓国人のバイタリティや積極性は韓国人の「強み」だと考えています。是非,韓国の若者の皆さんにはその「強み」を生かして頑張っていただきたいと思っています。

5.結び

先日,文在寅(ムン・ジェイン)新大統領が就任いたしました。昨日は,早速安倍総理と文在寅大統領との間で電話会談が行われ,北朝鮮問題についての緊密な連携を確認するとともに,早期の会談実現で一致したところです。私としては,これまで積み上げてきた実施,合意を土台にこれら協力を更に強化し,未来志向の日韓関係を一歩でも二歩でも進めるために全力を尽くしたい,と考えています。御清聴ありがとうございました。