大島大使コラム「城北洞の書斎から」- "「タンボ」で始まり、「タンクッ」で終わる話"

平成19年8月1日

在大韓民国日本国大使館 特命全権大使
大島 正太郞


7月のはじめ、韓国に来て初めてプロ野球の試合を観戦した。
来年のオリンピックでの野球に出場を目指す、日本チームの星野仙一監督の来訪を機会に「LGツインズ」対「ハンファ・イーグルス」のゲームに招待され、見に行った。結局10対1でツインズが勝った試合だった。

スコアボードには色々な情報が出ていたが、打席に立っている打者のそれまでの成績を示すものとして、「アンタ」とか「ボ ネッ」という表現については、その意味は直ぐわかった。しかし、「タンボ」と言うハングルの意味は直ぐにはわからなかった。聞いてみると、"タン"は地、だから、"地(を行く)ボール"と言う意味で、日本で言う"ゴロ"のことと教えてもらった。

そこで初めて、日本語の"ゴロ"の語源に思いが行った。子供の頃から草野球をやっていて、"ゴロ"は"ゴロ"であり、それ以外に呼び方はありえず、その語源を考えたこともなかった。
この点、韓国語の"タンボ"は野球の本場の米国の表現に忠実で、"Ground Ball"を直訳しているではないか!!そうなれば、日本で使用している"ゴロ"はこの英語、つまり「グラウンド ボール」がなまったものであるに違いない。(その晩、ソンボクドンの書斎に戻り辞書を見ると確かにそうなっていた。)

「タンボ」という表現に興味を惹かれたのには、もう少し経緯がある。
遡って、6月の下旬だったが、チョルラナムド(全羅南道)の南の地方に出張した。主たる目的は、まずソロクト(小鹿島)にあるハンセン病の患者のための国立ソロクト病院と現地に住まわれる元患者の方々を慰問すること、そして更にモッポ(木浦)にも行き「共生園」という、1940年代に韓国人のユン・チホさんと日本人の田内千鶴子さん夫婦が始め、その後の風雪をへて今日も活動を続ける孤児園を視察することだった。

当初の計画では、この出張の機会にモッポからチンド(珍島)を経て「タンクッ」も訪れることにしていた。「タンクッ」が、韓国でも一番風光明媚な地点だ、との地元出身の方の推薦があったから、そして、実はその地名に限りない興味を覚えたからだった。
「タンクッ」とは、"地の果て"という意味だと聞いたその瞬間から、是非行ってみたいと思っていた。結局、当日は梅雨の初めで重く雲がかかり視界はゼロに近く、雨も懸念され、日程も時間に余裕がなくなってきたので、残念だったが割愛した。

この「タンクッ」は、韓半島本体では最南端だそうだ。(韓国の最南端は、チェジュド(済州島)の南に位置するマラド(馬羅島)だそうだ。)昔から、イギリスの南西の端に、"Land's End"、すなわち、"地の果て"と言う名の場所があり、その海を隔てた向かい側のフランスのブレトン地域の最果てに"Finistere"、これも同じく"地の果て"、と称する場所があると聞いていた。両方とも、欧州大陸の中心にいたケルト人たちが、あとから移動してきたゲルマン系の民族に追いやられた土地だと聞いていた。

この「タンクッ」の地名を知り、人が、大陸の果てに"地の果て"という名をつけるのは、洋の東西を問わないのだなと思って、是非行ってみたいと思ったわけだ。しかし、大陸の果てに"地の果て"と名をつける民族は、大陸を陸路移動した民族だ。海洋民族にとって、大陸の果ては、"果て"ではなく船が着く、陸地の始まりのはずだから。

前回のコラムで言及したイギリス人の北米大陸への植民を考えてみても、ジェームスタウンも、また少し遅れ1620年にニューイングランドのプリムスに上陸した清教徒達も、北米大陸の入り口に到着したのだった。

日本に"地の果て"に相当する地名はあるかは、よく知らない。一寸考えていたら、鹿児島に「大隈半島」という地名があるのに気が付いた。ここは、九州の南端だそうだ。この"隅(すみ)"は、"隅っこ"の隅だろうか。
大昔、先住民族が後から来た民族に追いやられて、"地の果て"に来たと思ったのだろうか。それとも、そこは、南洋から小船でやってきた人々が初めて今の日本列島に接した所で、ここは、"果て"ではなく"始まり"だったのだろうか。