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「城北洞の書斎から」
「猪・豚、海豚、河豚」


在大韓民国日本国大使館 特命全権大使
大島 正太郞


このコラムもこれで、二巡目に入った。振り返ると第一回目も干支の話だった。一巡記念に(?)、前回に続き「豚年、猪年」の話を続けたい

(食傷気味ということ勿れ)。

先月ある週末、久方ぶりに景福宮(キョンボックン)を訪れてみた。雲一つ無い、透き通るような青い空の日だった。大変寒かった。

これは、今年の干支が「豚」か「猪」か、にまだ拘わっており、特に、この前誰かが、韓国の昔の干支の石像などには「いのしし(猪)」の顔をしたのがあると

言ったので気になっていた。ちょうど、キョンボックンの構内にある国立民俗博物館で今年の干支に因んで『福を呼ぶ豚(テェジ)』特別展を行っているとの

広告を見ていたし、また、民俗博物館の前に、干支の動物の石像があることを覚えていたからだった。

猪・豚、海豚、河豚

民俗博物館の前の石像の写真を撮ってきたので、ここに掲載させていただくが、これは豚だろうか、猪だろうか。ご覧の様に、牙が事態を複雑にしている。

特別展を見てさらに判らなくなった。統一新羅時代の浮き彫の像は、写真にもあるような牙があり、顔も細長く、毛深く、猪のようにも見える。

また、幾つかの展示物には、同様な猪と思える絵が出ている。ひょっとして、その昔、韓半島に干支を動物で表す仕組みが伝わった頃、

豚はまだ普及していなかったのか?

博物館ショップで黄金色の豚の貯金箱が売られていたのが面白かったが、この豚には牙は無かった。


豚談義のついでに、「海の豚」、「河の豚」の話をしたい。

海や河にも豚がいるわけではないが、「海の豚(海豚)」と書いて「いるか」のことを指す。まず、中国では、「海豚」とも書くらしいが、普通は「海猪」と

書き"ハイジュー"と発音し、これが「いるか」のことだそうだ。

中国語では「猪」の字は豚を指すので同じことのようだ。他方、日本では、「海豚」と書いて"イルカ"と読む。いわゆる訓読みだ。

さて、ここ韓国では「海豚」との表記はなく、「???"トルゴレ"」が「いるか」を意味するそうだがその冒頭の「トル『?』」は豚を指した「トッ(?)」から

来ているそうだ。

「河の豚(河豚)」、と書くと、これは日本では魚の「ふぐ」のことを指し、"フグ"と訓読みする。

中国でも「ふぐ」は「河豚」と書くと知って興味深かったが、その発音は当然異なっていて、この漢字は"フゥートゥン"と発音するそうだ。

韓国語で「ふぐ」は、「??」で、"ポゴ"と発音する。(?は「魚」という言葉だから、?だけ(発音は"ポッ")でも「ふぐ」をさす場合もあるようだ。)

ところで、日本語の「は行」について、大昔は実は英語で言えばPの発音だったが、時代と共に変化し、中世頃にはFの音になり、その後Hの音に変化した

といわれている。(もっとも「は」行でも、「ふ」の音はHというよりWho?のwhの音に近い。

(「富士山」の発音は、FU-jisanとかHU-jisan を英語読みした音とは異なっていて、Who-jisanに近い。)

「ふ」は、昔は"プ"と発音したとすると、韓国語の「ポゴ」(あるいは単に「ポッ」)、

にあたる日本語の古い言葉の発音は「プグ」だったのかも知れず、要するにもともとは同じだったのかも知れない。

日本語の原型と韓国語の原型とが同じか少なくとも近似的だったことの表れのひとつの例のような気がすると共に、日本では、美味しい「ふぐ」が海で採れる

ことを知りつつ、漢字で川の豚を意味する「河豚」という表記を借りていることに、興味をそそられる。

ところで、訪れたキョンボックンでは、光化門(カンファムン)の修復工事が始まっていた。

ソウルは、キョンボックンを中心に建造されたと説明が出ていたが、今の姿は、ここが中心というよりは、扇の要の位置に置かれ、山を背にして街が扇形に

末広がりに開けているというべきであろう。この構造は、現代のソウルが、一端昔の城壁の外に拡大してからは、漢江(ハンガン)をまたいで、川の南に

展開する際にも維持されている。ソウルは、今や、基本的には扇形の町である。

昔は、多くの都がそうであったように、街路は南北の碁盤の目のようだったのかもしれないが、要のキョンボックンの配置を見ると、縦の軸が真の南北の

線から少しずれている。カンファムンの修復工事も昔の位置に復元すると言うことで、今より世宗路(セジョンノ)に対して少し斜めになるということを

知り、改めて軸の方位を確認してみた。確かに少し北北東に傾いている。


何故そうかと疑問に思っていたら、カンファムン復元に関するある記事の中に、新しいカンファムンも。。。

冠岳山(カナックサン)を臨む角度で配置されることとなる、と書いてあった。

では、なぜ、古の都の宮殿がカナックサンを臨むように作られていたのだろうか?

 

 

 

 

 


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