「城北洞の書斎から」 霞ヶ関、霞、花霞、桜・・・ソンボクドンの花霞
在大韓民国日本国大使館 特命全権大使 大島 正太郞

(前回のこのコラムが、さる新聞のコラムニストの記事で言及された。読者があることが判り身の引き締まる思いだ。
ところで、その際、記者に指摘された様に、このコラムでは政治問題は扱わないことにしている。自分が韓国での日々の生活で感じること、いわば心象風景を
記していくつもりだ。ご理解頂ければ幸甚である。)
今や春。桜の季節だ。ソンボクドンの庭先の桜も、今は3分咲き。
先月末、用務で一時帰国した際、外務省前の桜並木を初め東京では満開に近かった。自分は仕事であちらこちら動き回っていたのでゆっくり愛でる機会は
少なかったが、道の向かいの農水省に歩いてゆく時、桜の写真をとっている人がいたので、桜がきれいなのだなと思った。
今年は、東京とこちらで二度桜を味わえる。
桜はなぜか日本人に感動を誘う。自分は文学に詳しくないので多くを語れないが、桜をテーマとする和歌、俳句、能、絵画など作品は多い。
その一つに西行法師の次のような和歌がある。
『願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ』
情念のほとばしりに感じ入る。
話は変わるが、ある韓国の方と歓談していた時、米国の国務省はFoggy Bottomと言われるし、日本の外務省は「霞ヶ関」と言われるが、どうして、
いずれも、何故かもやもやした、透明性の無い「霧」だの「霞」だのに擬せられるのか、と尋ねられた。
それぞれ、国務省、外務省の建物のあるワシントンの、あるいは東京の地名に由来しているのであるが、それだけ即物的に答えるのでは、
この質問が暗に含む外交に関する問いかけに答えることにならない。
そこで、自分は日本語では「霧」と「霞」では語感が違う、「霧」は何か暗いもの、陰のある感じ、他方「霞」は明るい語感だと説明し、
その例として、例えば「花霞」という表現があることを引用した。
丁度、外務省前の桜をみてソウルに戻ってきたばかりの心が語った説明だった。
「花霞」とは、桜の満開の時、一寸と遠くから見ると、淡い桃色のもやが「霞」がたなびくように見えることを表現している。
このように、「霞」は、もやっていても、むしろ好ましい感覚を呼び起こす様を形容している。
もっとも、その場ではそう申し上げたが、「霞」の語感について気になったので、その後調べてみた。
やはり、日本の俳句の「季語」としては、霧は秋、霞は春だそうだ。霞は春と言う明るい季節と結びついている。
さらに言えば、「霞」あるいは「かすみ」という女性の名前はあるが、その逆(「霧」)は余り無いようだ。
そこで「霞ヶ関」だが、これは、外務省やその他の省庁が並ぶ東京の官庁街がある地域の古くからの地名だ。おそらく、江戸時代に既にあった
地名ではないだろうか(物の本によると明治時代には正式な地名となった由)。その頃からその地に多くの桜があったかは知らない。
「霞」にまつわるもう一つの地名に「霞ヶ浦」がある。これも古い地名だと思うが、東京からみて成田空港のさらに先にある、利根川の河口近く
の大きな湖で、ここの桜も有名だが、水郷でも有名なところだ。
中学生のころ、映画を良くみるようになってから、ある時、今井正監督の「米」(57年)と言う作品を友人と見た。まさにこの霞ヶ浦の水郷を
舞台にした人間模様の話で、初めて大人の映画を見たような気がした。
この映画は、当時だんだん普及し始めた「天然色」で、霞ヶ浦でわかさぎ漁を行う、大きな独特な白い帆を掛けた船がいっせいに湖に繰り出す場面が
あった。真っ白い帆と青い空・湖との対比が画面いっぱいに広がった時のその美しさには息を呑む思いだった。今でもその画面が脳裏に焼きついている。
「霞」の話でこの映像も思い出した。
このように、自分にとって「霞」と言う言葉は、「花霞」「霞ヶ関」「霞ヶ浦」などなど、常に肯定的なイメージだ。
この書斎の窓先の桜が満開となり、「ソンボクドンの花霞」となるのももう直ぐだ。
そう言えば、「霞ヶ関」や「霞ヶ関外交」と言う表現に相当する、韓国の外交当局の呼称はなんであろうか。
「外交通商部」の建物は「光化門」の前にあるから、「光化門」あるいは「光化門外交」と呼ばれているのだろうか。
|