安東古宅体験
在韓日本国大使館 公報文化院長
高橋妙子
の中旬に安東を初めて訪れました。李氏朝鮮時代の文化を色濃く残す町で、歴史に残る高名な儒学者・李退渓が建てた陶山書院や韓国で一番古い木造建築である鳳停寺等の歴史的建築物のみならず、安東韓牛、安東塩鯖、安東チムダッ、更には安東焼酎まで、食欲をそそる土地の名産も沢山あるようです。勿論、公報文化院長としては、900年以上昔から伝わると言われる河回村の仮面劇も忘れてはなりませんね。と、そんな安東の話をしていたら、結局文化院の同僚を中心に、韓国人2人、日本人4人の合計6人で出かけることになりました。
ソウルの東部バス・ターミナルから高速バスでおよそ3時間。安東では私達一行の一人が大学の後輩を通じてアレンジした車と案内役の女子大生が待っていました。その車で、安東郊外に出ると、洛東江の両岸には、穏やかな春の光景が広がっていて、そんな中に、亭子(チョンジャ)がポツン・ポツンと点在していました。歴史が日常の一部として息づいているといった感じです。
河回村、陶山書院、鳳停寺、烏川遺跡、等の歴史的建造物についても然りです。周囲に近代建築物の建設を認めていないからでしょうか。それぞれの建物が、周囲の山間の風景にすっかり溶け込んでいて、見る人にタイム・スリップしたかのような感覚を与えます。そんな環境の中にいると、黒瓦の屋根が一層美しく映ります。瓦屋根は東洋の美の形だと改めて思いました。
一方、安東の旅の醍醐味は何と言っても、古宅に泊まることだと聞いていました。古宅とは重要文化財に指定されている両班階級の家屋を、宿泊施設として利用できるようにしたもので、中には様々な文化体験をさせてくれる古宅もあるそうです。私達も当然その古宅に宿をとりたいと考えました。そして、私達が考えた文化体験は、古宅で安東焼酎を味わうことでした。
春の観光シーズンたけなわのこの時期、私達6人を受け入れてくれる古宅は、市内から1時間半ほどの山の中にありました。330年の歴史を誇る韓屋が、数年前の臨河ダムの建設により、ダムの底に沈む運命であったのを、古宅文化保存のための公的補助を得て、今の場所に移築されてきたのだそうです。確かにそこからは臨河ダムの美しい湖面を眺望できました。
食堂での夕食の後、私達は案内された客用の居間で、ご主人からいろんなお話を伺うことができました。先祖伝来の家に住むということは、ご先祖の供養をする義務と責任を共に引き受けるということ、そして、その儀式は、屋敷内にある祠堂(サダン)という建物の中で行われるということ、家の奥さんはその儀式のために決められた料理をたくさん準備しなければならないこと、そして、そんな儀式が年に何度も行われるということ、等々。
日本にも「法事」という行事がありますが、日本の法事は、家族親戚一同が故人を偲びその霊を慰めるための仏法の行事で、従ってお坊さんに家に来てもらって経を上げてもらうか、或いは直接お寺でお坊さんに法事を執り行ってもらうことがとても重要です。お坊さんの経と説法に結構な謝礼金を払います。私からそんな話をすると、ご主人は、韓国の法事は儒教の伝統に則った行事で宗教行事ではないと言われました。儒教の国、韓国が、今もこんな形で残っていることを確認した思いです。
因みに、私達が囲むテーブルの上には、その日市内のスーパーで買い求めた安東焼酎があり、私達はこれをゆっくりと味わいながら、ご主人の話を聞いていました。ソウルでは、安東焼酎は40度のアルコール度数で匂いも大変強くて、慣れないと呑みにくいという話を聞いていましたが、どちらかというと日本で人気が出ている芋焼酎に似ていて、飲み口もすっきりしていて美味しいというのが、私達6人の結論でした。
私達のそんな焼酎談議を聞いて、ご主人は、自身が古宅保存協会の会長をされていて、日本の組織とも交流をしてこられていることなどを話されました。日本にも何度も行かれていて、飛騨高山の古宅についても大変詳しい様子でした。世界は本当に狭いものです。ご主人は、更に、ここには多くの外国人客も泊まりに来る話もされました。そして、「以前フランス人のグループが泊まったが、彼らは布団で寝た経験がないので、敷布団と被り布団の違いが分からなかったようだ。翌朝部屋を覗いてみると、被り布団を三枚も重ねて、その上に寝ていたよ」と言って、楽しそうに笑いました。そして、「貴方方は、日本人だから布団に寝た経験はあるだろうから、あんな間違いはしないだろうがね」と結びました。
「そうですね、韓国のお布団は初めてですが、おそらく大丈夫でしょう」、「むしろ、夜中に寒くならないかが心配ですが」と私。夜も更けてきて、部屋の中に居ても、少し肌寒さを感じます。韓国人の仲間たちも古宅に泊まるのは初めてとのことで、ちょっと不安そうです。するとご主人は、「オンドルを焚いているから大丈夫。昔ながらの松の薪を燃やしているから、明け方まで暖かいですよ」と言いました。こんな話がひとしきり続いて、焼酎の瓶も空になって、さあ、そろそろ寝支度です。
私は韓国人のL嬢と、居間の左手奥にある寝室を共有することになり、二人で布団を敷くことになりました。すると、L嬢が、寝室の上手の床をじっと見つめながら、「院長、こちらの床の色が濃いですね。長い年月を経て、オンドルの熱で焼けたのでしょう、こちらがより暖かい筈ですから、どうぞこちらにお休み下さい」と心憎い気遣いです。先月、長く風邪をこじらせたことのあった私は、彼女の優しい申し出を素直に受けることにして、上手の床に布団を敷き始めました。敷布団がちょっと薄いのが気になりましたが、それだけに、どちらが敷布団で、どちらが被り布団かは、全く迷うこともなく、直ぐに寝床の準備は終了、床に就きました。
最初はとても快適でした。ちょっと冷えた体に、オンドルの熱が優しく伝わって来ます。そうか、薄い敷布団には、それなりの合理性があったのかと、その時初めて納得がいきました。ところが、1時間もすると、だんだんと状況は変わって来ました。布団が暖かいのではなく、熱く感じられてきたのです。そうなると、布団の薄さを通して床の堅さが気になり、今度は背中も痛み出しました。
「そうだ、東京に住んでいたころ、休暇で実家に戻るといつも客用の布団に寝かされて、東京のベッドの生活に慣れてしまっていた私は、いつも最初の晩は旨く寝付かれなかったな」等と、どうでも良いことまで思い出して、どうにも寝付かれません。こうなっては仕方がありません。ガバッと起き上がり、そっと押入れを開けてみると、未だ布団が何組か残っていました。私は、L嬢が目を覚まさないように注意しながら、中から布団を何枚か取り出して、自分の敷布団の上に、敷き重ねました。その上にそっと身を横たえて、「これじゃあ、ご主人が言っていたフランス人と同じだわ」と独り言をしながら、眠りに落ちたのでした。
※ 本原稿は当館発行の日本情報誌『イルボネ・セソシク』(韓国語)用に書かれたもので、読者は主に韓国人を想定しています。 |