「日韓交流おまつり2007in Seoul」を振り返って
在韓日本国大使館 公報文化院長
高橋妙子
* おまつり第一日目(10月20日)
「とにかく、とにかく、寒かった」。ソウル市庁前広場を中心に行われた「日韓交流おまつり2007in
Seoul」の第一日目が終わった時点での私の思いでした。何しろこの秋一番の寒さ(最高気温9.6度、最低気温3.2度、平均気温6.2度)だったのです。最後の演目のユンナさんのステージが終わった夜10時頃は、正に3~4度位でしたでしょうか。これは、平均気温30度のフィリピンから来た私にとっては、零下の世界です。最後は殆ど凍っていました。それでも最後まで残って下さった何名かの実行委員の先生方と近くの居酒屋で遅い夕食をとっていると、冷え切った体にだんだんと生気が戻ってきて、その日のステージや観衆の反応が鮮やかに蘇って来ました。
開会式に続いて次々と演じられた様々な出し物、実に盛りだくさんで、どれを紹介したらよいか迷います。それでもあえて幾つか選んでみましょう。
日本側の出し物としては、例えば、ソウル日本人学校の子供たちによる「よさこいソーラン踊り」は元気で可愛らしかったし、岩手県の鹿踊り、島根県の岩見神楽や熊本県の山鹿灯篭は、日本の高校生がその土地、土地の伝統芸能の継承のために立派に頑張っている姿を見せてくれました。そして、なんと言っても圧巻は、日本の東北三大祭の一つである、秋田竿灯でしょうか。市庁舎を背景にした竿灯の写真が、秋田の地元紙に大きく掲載されました。「自分たちのお祭りをあの世界的に有名なソウル市庁前広場で披露できたよ」と、さも誇らしそうな写真です。「日韓関係は今やそんな時代に入ったよ」と言っているようでもあります。
韓国側の出し物も、実に多彩でした。それらの中で私が個人的に興味を引かれたのは、韓国舞踊です。旧暦の8月15日に月に向かって輪になって踊るというガンガンスーレは、全体としてとても単調ではありますが、それがかえって力強く、幻想的で、とてもすばらしいと思いました。また、KARMAやハノルム舞踊団の現代的なアレンジによる舞踊も目を見張るものがありました。そして何より心に残ったのは、韓国伝統舞踊家である金利恵さんが日本舞踊のグループと行った日韓コラボレーションですが、これには若干の背景説明が必要です。
公報文化院では、ここ数年、三味線と日本舞踊の教室が開かれています。正確には、それぞれ日本では高名な三味線と日舞の先生のお二人が、2ヶ月に一度位の頻度で、手弁当でソウルまでやってきて、韓国人の方々に、それぞれ御自分の芸を教えられるというので、公報文化院が場所を提供してきているのです。そして、今回の日韓交流おまつりでは、それらの生徒さんのパフォーマンスに、日本側から鼓や三味線の演奏家と、韓国側からは何れもとても有名なコムンゴ奏者の李世煥氏さんと韓国伝統舞踊の金利恵さんが参加していただけることになったのです。
こうして出来上がった「日韓伝統音楽共演」が、夜の部のトップ・バッターを飾ったのです。コムンゴ、三味線、そして鼓の織り成す演奏と、あくまで優雅な金利恵さんと可憐な日舞の生徒さん達の連舞、日韓が正におまつりを通じて交流していると実感した瞬間でした。
日韓コラボレーションという意味では、ソウル日本人学校の児童と東名児童福祉センターの子供たち、総勢100名による合唱も忘れられません。日韓関係に長く携わってこられた方々の中には、「大舞台の上で日本語と韓国語で合唱する子供たちの姿に、将来の日韓関係を担う人材が育っているとの思いがして、目頭が熱くなった」と話す人もいました。
そう、パレードについても触れなければなりません。パレードも実に多くの団体が参加してくださったので、どれを紹介すべきか迷いますが、やはり、日本のPL学園のバトントワリングのチームが、韓国一を誇るヨングァン・マーチングバンドの演奏に合わせて披露してくれた演技は、沿道の人々の目を瞠らせる、正にパレードの醍醐味そのものでした。
また、ソウル・ジャパン・クラブ(SJC)による「よさこいアリラン」も見応えがありました。「よさこいアリラン」とは、日本の「よさこいソーラン踊り」を韓国の民謡アリランに合わせて日韓交流おまつりのためにアレンジしたものです。2005年の第1回目には50名で参加し、回を重ねる毎に規模も大きくなり、今年は会社の社長から社員まで、更には小さな子供達まで、総勢140名が参加しました。お揃いの赤い法被を着て、カシャカシャと鳴子を鳴らして踊る姿は、日韓交流おまつりの一つのシンボルになりつつあるとの印象を持ちました。
でも今年のパレードの目玉は、なんと言っても朝鮮通信使でした。読者の皆さんも既にご存知のことと思いますが、今年は朝鮮通信使が初めて日本に送られてから400周年に当たります。通信使とは、「信義を交換する」とうい意味で、通信使は朝鮮国王が、江戸幕府の要請を受け、徳川将軍に対して派遣した朝鮮国王の公式な外交使節です。その規模は、朝鮮国王の国書を持った3人(正使、副使、従事官)、朝鮮の最高官僚、学者、芸術家、楽隊、警護員、通訳官等々合わせて300~500名に及んで、江戸幕府もこれを莫大な費用を使って接遇したそうです。こうした通信使が、200年以上にわたって12回送られ、その間日韓両国の間では高度な文化・芸術の交流が図られ、戦争のない平和な時代が続いたということで、その意義が近年日韓関係者の間で注目されて来ています。
そして、今年400周年という節目の年に再現された朝鮮通信使が、今年4月にソウルを出発し日本に向かい、様々な交流を行って、今回の「日韓交流おまつり」に併せてソウルに帰って来たのです。朝鮮時代の色とりどりの衣装をまとった通信使の行列は、実に壮観で、正に歴史を彷彿とさせるものでした。
* おまつり二日目(10月21日)
二日目は、おまつり会場が、市庁前広場から清渓川に移りました。清渓川広場に作られた舞台は前日の市庁前広場の大舞台から比べると相当小さいものでしたが、それだけに観客との距離もとても近く、和らいだお天気の効果もあったのでしょうか、初日の緊張感は最早なく、出演者も観客も運営委員も、皆が一体となって、寛いだ雰囲気の中でおまつりを楽しむことができたように思います。かく言う私も、よさこいアリランを踊る「ハナコリア」のパフォーマンスを見ているうちにいつの間にか、一緒に踊っていました。その他にも笑福亭銀瓶さんの韓国語による落語や韓国伝統マダン劇等は、韓国語の分からない私にも気持ちが伝わってくるようで、大変興味深いものでした。
二日目の午後の部は、学生委員会にその運営が任されましたが、どうでしょう、その司会進行振りたるや大変立派で、それまでの私達運営委員会の企画運営と比べても何の遜色もありません。日韓交流おまつりが学生交流の場という意味でも大いに存在意義を示したと言えるでしょう。
* おまつりを終えて
日韓交流おまつりは、2005年の「日韓友情年」にその目玉事業として初めて開催されました。当時の関係者によると、企画はしてみたものの、実際には日韓関係が政治問題でギクシャクする中、本当に成功するかどうか危ぶまれたそうです。ところが、実際に幕を開けてみると、日韓両国はどんな政治状況にあっても、市民交流だけは続けていかなければならないという考えを支持して下さった両国国民のお陰で、大成功に終わったそうです。それから2年、日韓交流おまつりは、今回3回目を迎え、場所も大学路からソウル市庁前広場と清渓川一帯に移り、日韓双方で併せて約60の団体、個人にして2000人に上る方々が参加する規模になりました。2日間の観客動員数も、あの寒さにも拘わらず7万5千人と言われています。
私は、この8月末に着任して以来、前任の藤山院長に代わって運営委員会副委員長として準備に携わりましたが、当初このおまつりがこれほどすごいイベントとは思っていませんでした。しかし実際にやってみると、日韓双方向での壮大な文化紹介事業であり、市民交流、青年交流、地方交流等、あらゆる要素を含んだ文化交流事業でした。あらためて(私の着任以前から、いえ、2005年当時から)企画運営に当たってくださった多くの日韓双方の関係者に敬意を表するとともに、このイベントを温かく受け入れてくれたソウル市民にお礼を言いたいと思います。
日本では韓流ブームと言われて久しいですが、専門家に言わせると、第一次韓流ブームは朝鮮通信使の来訪であったそうです。朝鮮通信使400周年を迎えた今日、日韓交流おまつりが両国の友好関係を下支えする大切な行事に育ってきていると感じます。
※ 本原稿は当館発行の日本情報誌『イルボネ・セソシク』(韓国語)用に書かれたもので、読者は主に韓国人を想定しています。
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