1. 伸長する韓国の国力
アンニョンハシムニッカ(こんにちは)。
伝統ある東西大学で講演の機会を与えていただいて光栄である。韓国語は勉強中であるが未だ不自由なので、本日は、英語の堪能な皆さんに、英語でお話したい。
では、まず、初めに、韓国の国力ということから話を始めよう。皆さんは、自分の国の国力を、どれほど正確に認識しておられるだろうか。
実は、韓国は、既に、アジアにおいてリーダーシップを取るべき大国に成長している。このことを、先ず、しっかりと理解してほしい。日本は、先進民主主義国として成長した韓国の力を必要としている。米国もそうであろう。戦後、アジア太平洋地域の平和と繁栄を支えてきたのは、唯二の先進民主主義国であった日米両国であるが、日本と米国だけでは、最早、東アジアの平和と繁栄を支え、民主主義を伝搬し、基本的人権を擁護することはできない。次々と大国化する域内の国々の力を必要としているのである。日本は、もちろんそうであるし、米国もきっと、韓国の力を借りたいと思っているはずである。
では、初めに、韓国の経済力を見てみよう。韓国のGDPは、日本の約2割であり、中国の約2割である。これは米国やEUの6~7パーセントの大きさである。それが大きいか、小さいか、皆さんには解るだろうか。それは、大変な大きさなのである。
日本の2割と言えば、BRICSと言われて話題となっているロシア、ブラジル、インドと、さほど変わらない大きさである((注)露印伯は、日本の2割5分程度)。韓国の人口は4500万程度である。中国東北三省の最北にある黒竜江省の人口が4000万足らずであるが、黒竜江省程度の人口しかない韓国のGDPが、中国全体の2割の経済規模を誇っているのである。
しかも、韓国経済は先進経済であり、その技術水準は、中国のかなり前を走っている。製造業では、三星(サムソン)電子や現代(ヒョンデ)自動車が、ソニーやパナソニックや、トヨタや日産の強力なライバルに育っている。今や、真剣に、日韓が対等な立場から「一つの経済圏」となることを検討するべき時代が到来しているのである。
次に、軍事力はどうだろうか。総軍70万の韓国軍は、アジアにおいて屈指の軍隊である。特に、陸軍60万の存在感は大きく、我が陸上自衛隊の4倍の規模を誇っている。中国が、広大な中国全土を防衛するために200万強の人民解放軍しか擁していないことを考えれば、朝鮮半島に凝縮された70万の軍隊には、存在感がある。中国にとって、今日の韓国は、雅やかな(李氏)朝鮮王朝が近代化したと言うよりも、隋や唐を累次にわたり破った勇猛な高句麗がよみがえったかのように映るのではないか。
パキスタンと中国を意識しつつインド亜大陸を抑えるインド軍でさえ、100万の規模である。世界最大の国土面積を持つロシア軍は総軍で100万を数えるが、主力は西方の欧州・コーカサス正面に固まっており、極東地方に駐留するロシア軍は10万を数えるに過ぎない。なお、韓国軍の宿敵である北朝鮮軍も100万を数えるが、長年にわたる財政的困窮の故に装備は老朽化しており、練度も低く、韓国軍と同列に論じることは出来ない。
また、韓国には、約2万の米空陸軍が駐留しており、太平洋を挟んで、核武装し、かつ、世界最強の兵力投射能力を持つ150万の米軍本体と連結している。更に、日米同盟の下に米国第七艦隊と海上自衛隊の協働が実現しており、機動的打撃力に優れた「矛」とも言うべき米第七艦隊を、第七艦隊の2倍の規模を持ち、かつ、対潜戦に優れた海上自衛隊が巨大な「盾」となって守っている。日米艦隊は、有事に連合艦隊として協働すれば、西太平洋最大の艦隊として、広大な海洋を制圧する。米韓同盟の後方では、日米同盟が、海洋の安全を確保し、数十万の単位でやってくる米陸軍の来援・渡海を確実なものにすることによって、韓国の安全保障を強固なものとしている。
最後に、政治力を見てみよう。20世紀後半の国際政治を動かした大きな力は、人々の意思の力である。20世紀後半には、多くの国々が植民地支配のくびきを捨てて独立した。90年代には冷戦が終了し、多くの国々が共産党独裁や開発独裁政権を倒して、次々と民主主義に転じていった。ポーランドを始めとする東欧の国々、ウクライナやグルジア、ASEANの国々、そして、台湾がそうであり、今や、民主化の波は中東にまで及んでいる。
実は、韓国は、90年代に生じた地球的規模における民主化の波頭に立った国である。西欧において最後の独裁であるスペインのフランコ独裁が倒れたのが、1975年である。その僅か5年後に、韓国では光州での学生・民衆蜂起が起きた。その僅か7年後に、韓国の民主化宣言が実現している。実は、韓国は、冷戦後の東欧・ウクライナ・グルジアの民主革命、ASEANの民主革命、台湾の民主化の先を走っていたのである。韓国は、民主主義の先達として、胸を張るべき位置にいる。先だって、エジプトのナショナル・デーのレセプションに行ったら、エジプト大使が、「エジプトは、韓国の後を追って、民主化しているのです」と述べていたのが印象的だった。韓国は、冷戦後に大きな波となった地球的規模での民主化の先達として、発言する資格がある。
以上から、韓国の大きさ、韓国のもつ力を理解してもらえただろうか。自国の大きさというのは、なかなか客観的に理解していないものである。しかし、外交の世界では、自分の大きさと小ささを知ることがともて大切である。それは、ちょうど、路上で車を運転するときに、車体感覚を持たねばならないのと同じである。自分の車の大きさが解らない人に安全な運転ができないように、自国の大きさが解らない人に、上手な外交はできない。
また、逆に、国力が肥大化していくときには、小国意識から、突如、膨れ上がった大国意識に溺れるようになりがちである。それは大変危険なことである。それは30年代、80年代の日本が経験したことである。特に、増大した国力に目が眩んで、噴き出すナショナリズムに溺れると、戦前の日本と同じ過ちを犯すことになる。等身大の自分の大きさ、小ささを忘れないことが大切である。
皆さんがこれから学校を卒業した後の韓国は、間違いなく膨れ上がる大国意識や燃え上がるナショナリズムを、どう国際的な責任感に昇華していくか、国際社会を支えることによってどう地球社会の尊敬を勝ち得ていくかを、考えねばならない時代を迎える。それは、韓国の真の誇りと自信に結びつくと思う。皆さんは、自信にあふれ、誇り高く、そして、尊敬される大国としての韓国を準備する世代なのである。
2.東アジアの将来と韓国の国際責任
力のある国には、責任が伴う。人間は成長すると、少年時代の夢や青年時代の野望から卒業して、大人として社会の中で果たすべき責任を自覚するようになる。誰も皆、家族を支え、会社を支え、地域を支える大人になる。国も同様であり、大国となった韓国は、国際社会を支えていく責任を負う。
日本でも、80年代のバブル期には、米国を抜くと言われた経済成長に奢り、「経済大国」という自負が生まれ、戦後ナショナリズムが噴き出して、「アメリカにガツンと言ってやりたい」などという缶コーヒーのCMが流行ったりした。その頃に、中曽根総理が出て、「西側(先進民主主義国)の一員」という日本の立ち位置と国際責任を明確に定義し直した。中曽根総理は、始まったばかりの新冷戦期の冒頭に、先進民主主義国家としての日本の立ち位置を明らかにし、21世紀に向かう日本の進路を示した宰相である。冷戦が終わった現在も、日本外交は、その延長上にある。それは、日米同盟を選択した吉田外交の必然的かつ論理的な展開であった。
同じように、今、李明博大統領が、「G20の一員」として、韓国の責任ということを言われ始めた。歴史の節目に、戦略的方向性を示す優れた指導者が出る国は幸いである。特に、大国化が始まるときには、ナショナリズムや民族の誇りに係る感情のエネルギーを、国際社会への責任感に昇華させていくことが、とても大切である。
それでは、「国際社会を支える」とは、どういうことだろうか。
それは、人類社会の経済的発展に貢献し、国際社会の平和と安定に貢献し、かつ、20世紀後半に決定的な思潮となった基本的人権と民主主義の伝搬において貢献すると言うことである。世界史の中で、応分の役割を果たすと言うことである。それでは、韓国が果たすべき役割は何だろうか。
(1)経済的繁栄
まず、経済的繁栄について考えてみよう。世界は、これまでほぼ、英国の産業革命から工業化によって巨大な国力を得た一握りの伝統的工業国家が主導してきた。工業は、農業と異なり、掛け算で国力を大きくする。それまでは、大体、世界の大国と言えば、中国、インド、日本、トルコ、ペルシャであった。人口が大きかったからである。そこに及ばないとしても、(李氏)朝鮮王朝期の朝鮮も、相当な人口であったはずである。
農業が中心の時期には、耕作可能な土地面積と人口が国力の基礎となる。近代以前、アジア人にローマ帝国は知られていたが、イギリスも、フランスも、誰も知らない晩熟な国に過ぎなかった。ルネサンスと宗教改革によって精神的に開眼した北西部欧州のゲルマン系諸族の国々は、一気に近代欧州の世界覇権への道を駆け上り始めるが、彼らの優位を決定的にしたのが工業化である。18世紀末に起きた英国での産業革命によって巨大な力を得た欧州諸国は、突然、地球を分割するほどの大国に変貌した。米国、ロシア、日本が、これを追いかけたわけである。
しかし、工業化は、決して、一握りの国々の特権ではなかった。いかなる国も、伝統的な思考方法を改め、科学と技術を輸入して、真面目に働けば、工業化するのである。先発の国を後発の国が追い抜くことも十分あり得る。日本は、英仏独などの国を60年代に追い抜いたが、今では、彼らの2倍の経済規模となった。
20世紀末に起きた世界史的出来事は、冷戦の崩壊により市場経済・自由貿易が地球化し、かつ、情報技術の進展により、世界が一つのフラットな市場に包摂されたことである。それは大きな機会を、才能のある国々に与えた。今、多くの国々が、新興工業国家として巨大な国力を以て登場しつつある。中国がその筆頭であるが、韓国、インド、ロシア、豪州、ASEAN諸国の一部、トルコ、スペイン、ブラジル、メキシコなどの国々もそうである。今日、G20と呼ばれる国々である。
韓国は、名誉あるG20の一員として、既に、世界経済の牽引に大きく貢献している。先進国経済の中で、リーマン・ショックから抜け出したのは、韓国だけである。韓国は、日本と比べて、非常に競争の厳しい緊張度の高い社会であるが、それにしてもよく頑張っている。韓国の人口は日本の半分であるが、もし、九州・四国が連邦国家となって日本から独立したら、或いは、西日本が大阪共和国となって独立したら、現在の韓国の様な発展をするだろうかと想像してみると、韓国がいかに頑張っているかが解る。しかも、韓国は、朝鮮戦争において、北朝鮮軍と中国軍によって、完全に国土を灰燼に帰せしめられた後に、ゼロからの発展を見たのである。皆さんも、祖国の飛躍的発展を誇らしく思っておられるであろう。
韓国は、先進経済として、G20の一員として、世界経済の運営に責任を持っている。それは、世界経済をけん引するだけではなく、自由貿易体制を支えていくと言うことでもある。韓国は、チリとのFTAの後、欧州連合、米国と世界二大市場との自由貿易協定を締結した。活力にあふれた韓国経済が、先進国経済に大きな刺激を与えれば、それもまた、世界経済への貢献となるであろう。
市場経済を掲げる国にとって、対外開放は祝福であり、外からの刺激も祝福である。偏狭な民族主義にすがりつき、競争と変化を恐れ、自ら閉じこもる者は、必ず時代に乗り遅れて衰退する。韓国のFTA戦略は、日本にも大きな刺激を与えた。日韓の経済連携協定は、2004年に中断されてしまったが、切に交渉再開が望まれる。
(2)平和と安定
次に、平和と安定について考えてみよう。韓国は、世界で最も軍事的に緊張した朝鮮半島において、冷戦の半世紀に亘って、平和と安定を維持してきた。それ自体が、国際平和に対する大きな貢献である。
大日本帝国の崩壊と同時に、帝国時代の日本が一世紀近く押しとどめていたソ連(ロシア)の影響力は、中国の共産化と相まって一気に南下した。朝鮮半島は分断された。その結果、ソ連、中国、北朝鮮という巨大な共産圏軍事ブロックが立ち上がった。そして、太平洋戦争終了後、僅か5年で朝鮮戦争が勃発し、韓国は蹂躙された。米国の主導する国連軍が、辛うじて北朝鮮軍と中国軍を押し返した。その後、米国が、旧大日本帝国の勢力圏に旧米領フィリピンを加えた地域に影響力を張り出し、海浜部からユーラシア大陸外縁部を抑え、ソ連主導の下で大陸内部に屹立する強大な共産圏ブロックと対峙するというアジア冷戦の戦略的構図が定着した。
東アジアにおいて、東西冷戦の厳しい磁場の中で、立ち位置を東西に変えることのできる国力を持った国は中国だけであった。バランサーと言ってもよい。盧武鉉大統領が韓国を「バランサー」と言ったり、日本でも「東西の架け橋となりたい」などという論調が流行ったことがあるが、日韓両国の国力では、とても無理である。そもそも、自国防衛のために西側の雄である米軍を駐留させておいて、「バランサー」も「架け橋」もあり得ない。
中国は、冷戦初期、フルシチョフが修正主義を打ち出したソ連に反発し、中ソ対立が表面化する。その後、70年代には、米中国交正常化が実現し、その結果、同時に、米ソ・デタントが実現した。この米中ソ・戦略的三角形の実現は、後世、キッシンジャー戦略と言われるが、キッシンジャーの思惑通り泥沼化したベトナム戦争を終結させはしたものの、朝鮮半島の緊張を緩和することは出来なかった。
90年代初頭に旧ソ連が崩壊し、東アジアの権力関係が大きく変容したときも、朝鮮半島には、冷戦の残滓ともいうべき軍事的緊張がそのまま残った。21世紀に入り、中国がロシアに代わり、最強・最大の大陸勢力として登場しつつあるが、中国の安全保障上の利益は北朝鮮における現体制維持にあり、現在も、朝鮮半島の軍事的緊張が最終的に緩和する見込みはない。韓国は、この厳しい地政学的な状況の中で、半世紀に亘り、自らの復興を果たし、同時に、半島の平和を守ってきたのである。
それだけではない。韓国は、米韓同盟によって、20世紀の後半、地域の安定に大きく貢献してきた。西太平洋地域、すなわち、東アジアの安定は、日本や韓国が、米国の主要同盟国として、米国の前方展開を支えてきたからこそ可能だったのである。日米同盟も、米韓同盟も、もちろん一義的には日本及び韓国自身の防衛のためであった。しかし、それは同時に、米国のコミットメントを確保することによって、地域の安定に、大きく貢献してきたのである。
今日でも、北朝鮮は、ソウルから僅か数十キロのDMZの反対側に、数百門の重火砲や多連装ロケット砲を並べ、首都ソウルを完全に人質に取っている。北朝鮮は、戦前の日本軍国主義や旧ソ連のスターリニズムを彷彿とさせる軍事独裁政権であり、平時においてさえ挑発を続け、昨年は、40名以上が死亡した天安号撃沈事件を引き起こし、今年は、民間人さえ巻き添えにした延坪島砲撃事件を引き起こしてきた。更に、北朝鮮は、強大な軍事大国となりつつある中国と、今日も依然として、軍事的同盟関係にある。
また、北朝鮮の脅威は、内政上のものでもある。北朝鮮は、同族の国であり、共産革命の永続的輸出を志向して、韓国政府及び社会の転覆を真剣に企図してきた。韓国内政上、北朝鮮に対する政治的態度が、韓国の政治勢力を切り分ける境界線となってきたと言っても過言ではないであろう。朝鮮戦争の恨みの消えない保守層と、北朝鮮の革命的理念に共感した進歩派は、そのまま、韓国政治における保守勢力と革新勢力となって固定された。朴正煕大統領独裁政権下においては、進歩勢力が弾圧されてきたが、80年代に生じた韓国の民主化は進歩派を抑圧から開放し、かつての保守と進歩派の対立と分断が、そのまま今日の韓国政治の中に蘇生している。このような内政上の緊張感は、国土を分断されることなく、同じ国土の上にもう一つの革命政権を持たなかった日本人には、想像することさえ難しい。
なお、韓国の安全保障観は、朝鮮半島に局限されがちであるが、これほど巨大な潜在的敵勢力に直面していれば、それは、必然であり、仕方がないといえる。日本の戦略的思考も、冷戦中は、強大な極東ソ連軍に釘付けになっており、ほとんど北海道しか見ていなかった。日本が朝鮮半島を始めとする周辺地域に広く目を戻すのは、ガイドライン法を制定した冷戦後のことである。
韓国が、今日、中東やアフガニスタンや海賊対策に、日本と同様に、積極的に国軍を動かし始めたのは、韓国の戦略的視座の広がりと国際的責任感の成熟の現われであろう。多くの国が、韓国の平和創造への貢献を称賛している。
(3)民主主義の伝搬と基本的人権の擁護
以上に、経済的繁栄と平和と安定の問題について述べてきたが、本日の私の話の眼目は、これから述べるアジアにおける民主主義の伝搬と基本的人権の擁護という点にある。
20世紀最大の人類社会の進歩とはなんだろうか。科学技術を駆使して人々の生活を激変させた工業化だろうか。二度の世界大戦と冷戦終了後に漸く手に入れた平和の定着だろうか。それもある。しかし、もっと重要なことは、民主主義と基本的人権という考え方が、漸く地球的規模で定着してきたことである。韓国は、先に述べた通り、民主主義の先達として、アジアの民主主義と基本的人権を支え、伝搬させることが出来る。
民主主義や基本的人権というと、バタ臭い欧米思想であり、韓国本来の思想と異なると思われるかもしれない。確かに、民主主義や基本的人権とは、18世紀末のフランス革命と米国独立戦争が鼓吹した理想である。その影響は、20世紀前半の一時期、世界を震撼させたロシア革命の影響よりも、遥かに大きいと言える。
では、その淵源はどこにあるのだろうか。現代民主主義の基礎になっているのは、英国の啓蒙思想である。英国やフランスの啓蒙思想家は、ギリシャやローマの古典を渉猟し、民主主義を理論的に基礎づけたが、英国人も、フランス人も、実は、ローマ帝国とは何の関係もないゲルマン系の人々である。フランスに至っては、ローマを滅ぼしたフランク族の子孫である。その思想の多くは、実は、ローマ滅亡の千年後に、彼ら自身が紡いだ独創的な思想なのである。
現代民主主義が辿り着く生みの親は、英国のジョン・ロックである。17世紀の人であり、李氏の朝鮮王朝時代で言えば、中期の人である。ジョン・ロックは、名誉革命後にオランダから連れてきた新国王の王権を、英国貴族議会が制約するという考え方に正統性を与えた人である。つまり、ローマの法権を離れたからと言っても王権は絶対的存在ではなく、あくまでも人々の幸福を実現する手段であり、人々の幸福を実現するために、王権はその総意(国民の一般意思)に従う必要があり、その総意は国民を代表する議会が確定すると言う考え方を導いた人である。これが大陸に渡りルソーの社会契約論になり、モンテスキューの法の精神(三権分立)となって急進化する。それがフランス革命を生み、アメリカ独立戦争を生むのである。
ロックの思想の根底にある考え方は、政治権力は、道徳的実在である国民の一般意思の下にあると言う考え方(法の支配)であり、また、政治権力の正統性は国民にあり、国民の一人一人は犯されることのない尊厳を持っているということである(人間の尊厳)。
このような考え方は、決して欧州啓蒙思想の専売特許ではない。アジアには古くからある考え方である。2300年前の孟子は、天は仁政を敷くために、権力者に天命を下すが、民を慈しまず苦しめる権力者は、天の命を失い匹夫に戻るので、廃位してかまわず、場合によっては、誅殺してもよいとまで述べている。また、孟子は、天命の有無は、民による指導者の選択によって現れると述べている。
このような「敬天」の思想は、道徳的実在である天を権力者の上に置くもので、正に法の支配そのものである。更に、孟子は、民を持って貴しとなす。社稷これに次ぎ、君をもって軽しとなすとも述べている。孟子は、権力の目的と正統性の淵源が、国民一人一人にあることを知っていたのである。この「愛民」の思想は、人間の尊厳の思想と同じものである。人間の本質、政治の本質は、洋の東西を問わない。それを見抜いて思想や制度の次元に高めていく構想力があるかどうかが問題なのである。
「欧州啓蒙思想を知らない文明は残虐に違いない」と言うのは、欧米人の偏見であり、傲慢である。確かに、欧州の絶対王権は、往々にして、残虐で、冷酷で、恣意的であった。古くから儒教や仏教の浸透していた東アジアの王権は、酷薄な北方騎馬民族系の諸王権を除けば、常に欧州の王権のように残酷であったわけではない。そもそも英仏独等のゲルマン系欧州人の精神的飛躍は、せいぜいルネサンスと宗教改革からであり、彼らの方が東アジアに比べてはるかに文明的に晩熟であって、彼らの真の歴史は、実は、相当に短いのである。欧州の王権が、中世において冷酷であったのもうなずけないことはない。
しかし、アジアの政治思想に決定的に欠けており、欧州の啓蒙政治思想の方が優越している点が、一つだけある。それは、民の声を聞くための制度的保障を考えたことである。孟子が、民の声は天の声であると言ったとしても、どのようにして民の声を聞くのだろうか。天の声を伝える権利を権力者が簒奪してしまえば、孟子の思想は死んでしまう。やはり、そのための制度が必要なのである。それが、近代民主主義制度である。それは、思想の自由、表現の自由、集会の自由、報道の自由、議会制度、複数政党制、普通選挙、司法の独立と言った一連の制度のことで、民主主義は、そのどの一辺が欠けても機能しなくなる。
民主主義制度の構築は、権力の本質を悪と見、その制御に知恵を絞った欧州人が人類史に為した大きな貢献である。残念ながら、天子を天の代理人と見た中国を中心とする東アジアでは、君子の修身と過剰儀礼に関心が向き、君子を縛る制度構築には頭が回らなかった。
この法の支配、人間の尊厳と言う基本的な考え方は、18世紀末から、大きな政治的流れを生み出してきた。世界史を大きく動かす思想となったのである。何故だろうか。それは、権力の上に立つ天の存在を知り、また、全ての人間の中に尊厳があるという考え方には、全ての抑圧された人間を、政治的に覚醒させる強烈な力があるからである。
世界史を振り返ってみれば、ロックの思想は、マグナカルタに代表されるように、外国人の血を引く新王権に対する英国貴族の権利の主張であった。ルソーや、モンテスキューや、ボルテールに影響されたフランス革命は、工業化によって力をつけたブルジョワ(富裕層)が、身分的特権階級であった貴族階層に対して自らの権利を要求したものである。アメリカ大陸では、植民地の米国が英国王権のくびきを、実力で引きはがした。欧州では、一旦、神聖同盟が、フランス革命の風雲児、ナポレオンを押しつぶしたが、逆に、米国では、啓蒙政治思想が純粋培養され、米国は、やがて自由と民主主義を掲げて20世紀最大の大国として登場することになる。その後、人間扱いされず、悲惨な生活を強いられてきた都市労働者が、ブルジョワ(富裕層)に対して、人間としての誇りを取り戻すことを要求し始める。穏健な社会主義思想は、その後の人類社会に大きな貢献をしたが、残念ながら急進化した共産主義思想は、ロシア革命と中国共産化を実現したものの、当初の理想とは裏腹に独裁化し、思想としての命を失っていった。
20世紀に入ると、啓蒙思想は、地球的展開を見せ始める。植民地解放闘争である。18世紀中葉から、工業化によって隔絶した力を得たほんの一握りの欧州諸国、及び、米国、ロシア、日本と言った国々が、植民地帝国の経営を始めた。植民地から身を起こした米国でさえ、フィリピンを植民地として経営している。植民地化の毒牙を辛うじて抜け出したのは、アジア、アフリカでは、対露牽制のために英国の間接的な支援を受けた日本とオスマン・トルコ、それにタイ王国だけである。ムガール帝国のインドでさえ主権を奪われて英領となり、中国も、孫文が「半植民地になった」と嘆いたほど、無残に蚕食された。中国は、ロシアに多くの土地を割きとられ、或いは、他の欧州列強に海浜部を租借された。第一次大戦後には、オスマン・トルコが物理的に解体され、国際連盟の委任統治という美名の下に、英仏が広大なアラブ圏の領土を切り分けた。アフリカ大陸に至っては、ケーキを切り分けるように完全に分割されたのである。
植民地化の過程において、主権を奪われ、尊厳を奪われ、人権を奪われたアジア人やアフリカ人が、欧州啓蒙思想でいうところの「人間」として観念されたことはない。人権も、民主主義も、国際法も、アジア人やアフリカ人には適用されないと考えられていたのである。むしろ、醜悪な人種差別思想や、弱者必滅の社会的ダーウィニズムといった考え方が流行った時代である。
しかし、第二次大戦後、主権と人権を取り戻そうとする植民地住民が生み出した巨大な政治的エネルギーが現れた。その結果、大英帝国を始めとして、植民地帝国の内、150年続いたものはない。第二次大戦後、欧州諸国をはじめとする植民地帝国は、急速に没落した。大日本帝国は、戦後、解体された。第二次大戦の勝者である英国も、ガンジーの抵抗によりインドを失い、香港を返還し、或いは、ローデシアの独立運動に消耗した。同じく大戦の勝者であるフランスは、アルジェリアとベトナムで消耗し、オランダも、インドネシアを失った。第二次大戦を連合国として勝ち残ったソ連は、冷戦の半世紀、帝政時代に編入した異民族のコーカサス諸国及び中央アジア諸国をそのまま維持したが、冷戦終結と同時に手放さざるを得なくなった。第二次世界大戦後から冷戦終了にかけて、ほとんどすべての植民地が独立し、第二次大戦終了時に50カ国であった国際社会は、200の国を数えるに至っている。
現在、欧州啓蒙思想は、最終的な展開の位相に入ったように見える。それは、今度は、植民地支配から独立した多くの国々の内側において、民主化への熱い情熱を呼び覚ましている。それは、一言で言えば、20世紀後半にアジア、アフリカの新独立国に集中的に現れた共産党独裁体制と開発独裁体制の崩壊現象である。
そもそも共産党独裁体制は、一種の開発独裁体制と言ってよいであろう。共産主義は、資本主義の成熟の後に現れるとマルクスは述べたが、実際は、ロシアのように後発の資本主義国や、或いは、そもそも中国のように工業国家に転じる以前の農業社会の時点で共産化した国が多い。後世の歴史家は、共産主義独裁体制を、近代化初期における計画経済実現のために現れた一種の開発独裁に数えるのではないだろうか。
現在、中東にまで広がった民主化現象は、戦後独立に際して開発独裁に転じ、或いは、共産党一党独裁に転じた多くの国の中で、工業化が進展することによって成熟した市民社会が登場し、また、情報技術の発展により情報の流通が飛躍的に向上したために、多くの個人が覚醒した結果である。それは、17世紀のジョン・ロック以来、人類社会に地球的規模で野火のように広がり、次から次へと正当な抵抗者を呼び覚まし続けてきた啓蒙政治思想の最終的展開なのである。
戦後の爆発的な民主化の波は、20世紀の終盤に現れた。その巨大な波の起点には、先に申し上げた通り、80年の光州蜂起に始まり、87年に民主化を達成した韓国が立っているのである。韓国は、500年に及ぶ李氏の朝鮮王朝時代に、非常に洗練された典雅な文人統治の政治的伝統を磨き上げた。日本は剣の国であるが、韓国は本の国である。韓国に深く根を降ろした牢固とした儒教社会は、近代化の初期においてこそ改革の妨げであったが、戦後、韓国が、世界の中でいち早く民主化を成し遂げることが出来たのは、同じ儒教に磨かれた朝鮮王朝時代の政治的伝統によるところが大きい。
先ほど申し上げた通り、朝鮮王朝が深く帰依した儒教の思想は、実は、孟子の過激な民主主義思想を内に秘めている。また、朝鮮王朝時代には、国王の権力操作を容易くするためではあるが、「言路」という制度が設けられ、国王の前で、下級官僚集団が、高級官僚集団を堂々と論難する特権を認められていたと言う。このような制度は、現代韓国民主主義につながる伝統である。
そして、遂に、20世紀後半、韓国は、成熟した市民社会が、強大な軍事力、警察力を持つ開発独裁政権を打倒すことが出来るということを、他国に先駆けて証明したのである。それは、光州蜂起や多くの人々の犠牲の上にたつ偉業であった。
これから先進民主主義国が、20世紀の人類社会の大きな到達点である民主主義と基本的人権を守り、支えていくと主張するとき、韓国は、自らの辿った道を誇らしく主張することができる。多くの国がまた、韓国の後を追って来ているのである。実際、90年代以降、 東欧諸国、ウクライナ、グルジアと並んで、東アジアにおいては、ASEAN諸国、台湾が、韓国の後を追い、次々と民主主義に転じた。彼らは、皆、韓国の背中を見ながら、奮い立って独裁を倒したのである。
21世紀の韓国は、G20の一角を占める経済的なリーダーとしてだけではなく、世界政治における自由と平等という価値観を支える旗頭として、リーダーシップを発揮することを求められていると思う。
カムサハムニダ(ご清聴ありがとうございました)。
(注)本稿は、筆者の考えを記したもので、筆者の属する組織の見解を記したものではない。 |